十日間朝夕悔い改めて罪の赦しの切なる祈りを献げた聖徒は10月12日(聖暦7月10日)、一年の間知って犯した、分からずに犯した犯かしたすべての罪を赦されて清められるために敬虔な心で大贖罪日大聖会に参加した。この日全世界の神様の教会のすべての聖徒は、祭りを守るシオンで罪の赦しの祝福と権能がある大贖罪日を記念しながら罪人の罪を代わりに救われるために贖罪の献げ物になられた神様の大いなる愛と犠牲を高く称えた。

ⓒ 2005 WATV
大贖罪日は角笛祭と同じくモ-セの事績から始まった。モ-セが一度目に十戒を頂きにシナイ山に登っている間、イスラエルの民は金の雄牛を造って仕えながら神様に清められないほどの罪を犯した。モ-セはこの光景を見て激しく怒って持っていた十戒が刻み付けた石の板を山のふもとに投げつけて砕いた。この時イスラエルの民の内乱が起こって、災いで三千人の者が殺された。その後民は飾りをはずし心を清めた後、神様に悔い改めの祈りを献げた。
神様は罪を悔い改める民を赦されてモ-セに二度目の十戒を許された。40日間シナイ山で断食したモ-セが二度目に十戒を頂いて降りて来た日が大贖罪日の由来である。その後イスラエルの民は毎年聖暦7月1日角笛を鳴り響かせて大贖罪日を準備し、聖暦7月10日に祭りを聖別して守った。
この日大祭司長は自分と家族のために、雄牛の血で贖いの祭りを献げ、一年に一回至聖所に入って民のための贖いの祭りを献げた。特に大祭司長はサタンに表象された荒れ野のアザゼルの為にくじを引いた雄山羊に民の罪を移す按手をした後無人の地に追いやられて死なせる儀式をした。これは獣の血による祭りを通して聖所に移された民のすべての罪が大贖罪日に罪の根であるサタンを表象するアザゼルの雄山羊に移って、アザゼルの雄山羊が荒れ野で罪の報酬として死ぬことによって、初めて民の罪が完全消えることを現した。これは聖所であるキリスト(エゼ11章16節、ヨハ2章21節)が罪人の代わりに罪の重荷を担われて大贖罪日にサタンに罪を移すことによって子供たちが清められて罪から解放される霊的意味がある。
大贖罪日の大聖会を通じて御母様は御自らこの地に来られて罪人の罪の代わりに犠牲になられることによって子供たちを永遠に罪から解放させた御父様に感謝されました。また神様の御恵みにきずや汚れが何一つなく、清められて子供たちが聖霊の祝福にあずかって命の実をたくさん結ばれるように願われ、また多くの罪人の中から救い出されて救いの住みかである導かれた御恵に感謝を献げ、救いの御恵みを世に伝える愛の子供たちになるよう願われました。罪のとがを清めて全世界からはとのように飛んでくる兄弟姉妹のとがも 取り囲む広い器になるよう祈られました。 
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総会長金湊哲牧師は午前説教の時“世の罪を取り除く小羊として来られて御自らすべての民の罪を負われた神様の苦難と苦痛を推し量って再び罪を犯さない成長した子供になろう”と言いながら“罪の赦しの祝福があるので天国に入る御恵みにあずかったので、金銀を与えても赦されない罪人の罪を無報酬で赦された神様に毎日感謝を献げる生を生きましょう”と重ねて頼んだ。
午後禮拝の時には“災いと救い”という主題の説教が続けられた。“世の終わりの日には方々に飢饉や地震が起こるという神様の預言どおりに地震、台風、伝染病 等によって各種の災いが横行するこのごろ、私たちは命の便りを伝える伝令の使命を完全につくす子供にならなければなりません”と言った。
また“現在世界で発生する各種災いは”早く安全なるシオンに来なさい“と叫びながら 悔い改めを促す神様の御声と同じです”と言いながら“恐ろしさに震えている多くの人たちを安全な砦であるシオンに早く呼び集めなければなりません”と聖徒たちに預言者の使命をつくすことを促した。
罪の贖いの御恵みにあずかって清められた聖徒は罪の荷を神様の肩に担わせる愚かなことをしないで命を救うことにだけ心をつくすことを念をおした。
聖なる大聖会が終わった後御母様は“最近世界で起こっている災いは私に襲わないといって他人事のように考えてはなりません”と言われながら“罪の赦しと永生の祝福をあずかった子供たちは慈悲の心で多くの人たちをシオンに逃れさせるのが急務”と仰せられました。また災いの後に救い出すより災いの前に救いの方法を知らせて、神様の懐に導くことがはるかにまさると言われながら聖徒に救いの角笛をより力強く鳴らして下さいと重ねて頼まれた。
子供の命のために毎日祈られる御母様の切なる御声を肝に銘じてサマリアと地の果てまで駆け付けて救いの便りを伝える聖徒になるよう願う。